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七夕を考える ― 旧暦考(2) ―

  • コラム「環境と社会」

7月7日は七夕です。

色とりどりの短冊に一生懸命に考えた願い事を書いて、竹の枝に吊し、夜には空を見上げ、天の川を隔てて離ればなれになっている織姫と彦星が年に一度の再会を果たすというロマンチックな話に思いを馳せた経験を、多くの人が持っていると思います。

しかし、関東甲信地方は、例年よりも22日も早く梅雨が明けてしまいましたが、7月7日は、まだ梅雨真っただ中。織姫と彦星が再会することはなかなか望めません。 

では、なぜ七夕は7月7日なのでしょうか。

そこで、私たちの祖先が長らく使用してきた旧暦の7月7日を見てみると、今年は、新暦の8月17日にあたります。この時期は私たちにとってなじみの深い「盆」であることがわかります。そして、この日には、梅雨もすでに終わっていて、夜には星空を眺めることができ、織姫と彦星もめでたく再会を果たすことができるかもしれません。

この七夕にまつわる伝説と行事は、あたかもわが国固有のもののようにしっくりと私たちの生活に溶け込んでいますが、中国から伝来した星物語とわが国に古くからある儀礼が複雑に絡み合って、現在の形になったものなのです。

私たちがよく知る星物語とは別に、わが国では、古来、旧暦7月7日は、旧7月15日を中心とする祖霊供養のための「盆」行事の一環との性格を持った、特別な日でした。

すなわち、七夕は、近畿地方を中心として、北陸地方、新潟、福島、岩手、秋田、青森の各県では、なぬかぼん(七日盆)と呼ばれ、東北地方の一部と中国地方を中心として、他に関東、中部地方の一部ではなぬかび(七日日)と言われてきました。七夕は、他にも、盆入り、迎え盆など、盆に関する名称で呼ばれ、この日には墓を掃除し、仏具を磨き、仏壇に作物や花を供えて盆の準備をしたといいます。さらには、子どもなどに対して、「七度食べて七度水を浴びる」などの水浴の行事が行われるところもあり、他に牛馬に水浴をさせたり、年に一度の共同井戸の井戸替えをする地域もありました。これらの行動は、盆に向けて大切な祖霊をお迎えするための前段階としての禊(みそぎ)を意味するものであったと言われています。

それは、七夕の夜に雨が降れば、星祭りをすることも出来なくなり、織女と牽牛の年に一度の出会いにも支障をきたしてしまうのに、雨が降った方がよいという矛盾した言い伝えとも関連しているのです。ある地域では、「この日には必ず雨が降るものだ」とか「少なくとも三粒は降る」「七夕の笹の短冊が流れ落ちるほど降った方がよい」などが言い伝えられていますが、これらの雨は、祖霊を迎えるにあたっての「清めの雨」に他なりません。その雨も、織女と牽牛の恋路とは無関係に、土砂降りになればなるほど、汚れがすっかり流されてしまってよいとされてきました。

また、この日に、笹を立てるのも精霊の依り代としての意味があるのだといいます。そして、その笹竹に願い事を書いた短冊を吊すという習俗が起こったのは、江戸時代に寺子屋が発達し、そこでの手習いの一環として始まったのがその起源と言われています。

このように、わが国における本来の七夕行事は、中国から伝来した星物語とそれにまつわる行事と、日本古来の祖霊信仰に基づく行事が融合したものでしたが、明治以降、七夕が新暦の7月7日に行われるようになると、盆行事の一部としての意味が欠落してしまった結果、七夕はほんのりと甘いラブロマンスが強調された、かつてとは異なった意味を持つ「楽しい」お祭りとなってしまったようです。

七夕を含めて、本来の意味が失われてしまった行事は、かつては、それぞれの環境の中での経験に基づいた生活の智恵に満ちあふれていたのではないかと、私は思います。科学万能の現代は、過去の経験を非科学的なものと一蹴してしまいましたが、千年、二千年の経験は、人類の未来にとって、確かな道しるべとして、再認識すべきではないでしょうか。

「環境社会学」担当 名本光男