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キャンパス内のトチノキから考える

  • コラム「環境と社会」
トチノキの花
トチノキの実

東金キャンパスには、トチノキの並木があります。

トチノキの大きな葉っぱは、今の季節、地面に大きな影を作り、直射日光を遮り、心地よい風を私たちに届けてくれます。春には淡いクリーム色の花を咲かせ、夏には沢山の薄茶色なの実をつけます。あと1ヶ月もしたら、その実が地面にたくさん転がっていることでしょう。

はたして、どれだけの学生が、トチノキが花を咲かせ、実を実らせ、葉っぱを落としている事に目をやっているでしょうか。

秋になると、キャンパスに散らばるトチノキの実は、デンプンやタンパク質を多く含んでいるので、縄文時代前後から、この列島に生きてきた人々の貴重な食料となってきました(※1)。しかしながら、この実は、栗のように茹でたり、焼いたりしただけでは食べることはできません。皮をむき、果実を荒く砕いた後、木灰汁で煮込んで、アクを抜くことによって、はじめて食べることができるようになるのです。

ほかに、キャンパスの近くで見ることのできるミズナラ、コナラのドングリも、縄文時代以来の貴重な食料でした。これらの実も、トチの実と同じような方法でアク抜きをして、利用されてきました。子どもの頃、好奇心から、ドングリをかじってみたことのある人はいないでしょうか。幼い頃、食いしん坊であった私は、その実を囓ってみたところ、エグくて食べられたものではありませんでした。

いずれにしても、かつては、これらの実(堅果類)が東日本の各地の山村で、雑穀類と共に主食の一角を担っていたことが報告されています。また、これらの堅果類は、山村では凶作時の非常食(救荒食)として、昭和30年代まで屋根裏に備蓄していたという地域もありました(※2)。

戦後の高度経済成長期を経て、全国的な食糧事情が改善され、日本中の山村でも、これらの堅果類を救荒食として備蓄をする家は無くなってしまいました。そして、これらの堅果類の利用に関する技術や知識も、観光での利用を除いて、失われつつあるのが現状です。

このように、日本列島で生きてきた人々が、長年に渡る経験のなかから生み出してきた様々な知識や技術は、近代以降導入された西欧の技術の前に、失われつつあります。しかしながら、わが国において、農業や近代的な技術の歴史は、縄文時代の長さには遙かに及びません。堅果類の利用に関する知識や技術は、農耕がはじまる遥か以前、1万年以上も前から、脈々と受け継がれてきたものなのです。そして、縄文時代を通して、日本列島での、人間による大きな自然環境の改変は無かったようです。

翻って、現代は、経済成長が常に右肩上がりであり続ける中で、自然環境の破壊の進行を遅らせることによって、持続可能な社会の実現を意識しつつも、それが困難となりつつあるのが現状ではないでしょうか。

そのような中にあって、縄文時代の人々に近い生計活動を続けてきたと考えられているのが、マタギの人々です(※3)。彼らの生計活動の中で、特に注目すべきは、「旬の時に食べるものだけを採る。決して採りつくしてはいけない」という掟(※4)を忠実に守り、結果として、自然からの恵みを絶やすことなく利用してきたということです。

「経済最優先」からなかなか抜け出せない現代にあって、縄文時代以来の技術や知識、マタギの人々の考え方は、確かに過去のものではありますが、一周遅れの最先端のものとして、再認識すべきではないかと、私は思うのです。

 

※1 佐竹義輔ほか編『日本の野生植物 木本Ⅱ』平凡社(1989年)

※2 岡惠介「 かつて、ドングリは山人の糧だった ─山村・安家に見るアク抜き技術と木の実の利用 ─」『アニマ』NO.140(1984年)

※3 田口洋美『越後三面山人記 ─マタギの自然観に習う─』農山漁村文化協会(2001年)

※4 NHKスペシャル『残された原始の森・白神山地』(1992年8月6日放送)

(「環境社会学」担当 名本光男)