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フィールドでのエピソードから

  • コラム「環境と社会」

かつて、アフリカ ザンビアの焼畑農耕民ベンバ族の集落に滞在したときのこと、一人の子どもが私のところにやってきて、「なぜベンバ語を話すことができないのか」と、私に尋ねたことがあります。どうやら、その子どもは、世界のすべての人はベンバ語を話していて、それ以外には言語は存在しないと考えていたようです。

ベンバ族の子どもと同じように、太古の人びとの多くも、行動範囲はどんなに広くても、自分と同じ言語を話す人が生活している地域を出ることはありません。その頃は、現代とは異なり、自分たちの生活世界以外の物事については噂話で知る以外にはなく、想像の域を出ませんでした。地球上には、その人の使っている言語以外の言語は存在せず、それ故にそれ以外の世界は存在しないと考えていたのではないでしょうか。

戦前から戦後にかけて多くの作品を残した林芙美子の『風琴と魚の街』(林芙美子『林芙美子小品集』南日本新聞開発センター、2015年4月、所収)の中には、尾道に住む少女とその父親が、鉄道の鉄橋の上での会話を書いた部分があります。それによると、二人の会話は、鉄道が東京まで続いてはいるが、東京から先は夷の住む不思議世界であるというものでした。

林芙美子の生きた時代は、今から100年ほど前になります。近代化の波に洗われつつあった彼女の生きた時代でさえ、見知らぬ世界は、同じ人間が同じように生活しているとは想像すらできない人が多かったようです。

私たちは、地球が丸くて、古くからさまざまな言語が存在し、さまざまな文化が、地球上では営まれてきたことを知っています。

「科学的」と「非科学的」の境界についても、人々の移動がさまざまな条件によって制限されていた時代に、人々が認識していた「世界」とよく似ていると、ふと思いました。

現代にあって、「科学」という網からこぼれてしまった「非科学的」なものについても、単に「科学」の周囲に存在するものであるというだけに過ぎない、ただそれだけのことであるとは言えないのではないでしょうか。

「非科学的」というレッテルを貼られてしまったものが、未来に「実在する」と評価されることは、十分にあり得るのです。
 

 
中央アフリカの秘密結社の衣装

(社会調査担当 名本光男)