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老農が命を削ってまで畑を耕しつづける理由とは

  • コラム「環境と社会」

長かった梅雨が明け、厳しい暑さがやってきました。

先日、私の亡き父の従兄弟たちから、野菜や果物が送られてきました。彼らは、父とほとんど同い年ですから、かなりの高齢のため、暑い中での農作業はさぞかし厳しく、辛いと思います。

彼らには農業を継いでくれる後継者はいませんが、身体の動く限りは、農業を続けると口を揃えて言います。
なぜ彼らは、そこまでして農業を続けようとするのでしょうか。

それについての答えを、農業の現場である農地から考えてみましょう。

私は、かつて、岩手県の山村の畑地で、考古学の発掘の予備調査である表面採取に従事したことがあります。表面採集とは、遺蹟が想定される場所の地表に散在している遺物を採集することによって、地面の下の遺蹟を確かめるものです。

耕作を終えた畑の周りを歩きながら、地面の落ちている遺物を探していると、縄文の土器や中世の土器(かわらけ)、近世の貨幣などを見ることができました。しかしながら、畑の周囲に散らばっている多くは石ころでした。

畑の周囲に散在している石ころなどは、農民が畑を耕すために鍬などの農具を振り下ろしたときに、刃先が堅いものに当たる度に、それらを一つずつ畑から取り除いてきた結果なのです。
何代にも渡って、畑の土の中から堅いものを丁寧に取り除いてきたおかげで、目の前には、石ころの全くない綺麗な、きめの細かい土で覆われた畑が広がっているのです。

それは、一代だけでできるものではありません。先祖が子孫に残してくれたプレゼントなのです。

そのため、農民たちは、祖先が丹精込めて作ってきた畑を、自分の代で荒らしてしまうことに、申し訳なさを感じ、たとえ後継者がいなくても、身体が動かなくなるまで、命がけで耕作し続けるのではないでしょうか。

しかし、農民たちの、農地を後生に伝えなければならないという、命がけの思いも、農業の効率化を目的とした土地改良事業によって、新しい土が、先祖によって長い間作り続けてきた土の上に投入されてしまいました。ここに、農民たちにとって、田畑を永代に渡って守り続けていかなければいけないという理由も失われ、年老いた農民たちは、ついに農地を手放しつつあるのが、現実なのです。

東金キャンパス近傍の農村風景


 

(社会調査担当 名本光男)