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家族も「環境」?

  • コラム「環境と社会」

子供は親と同じ世界を生きていますが、
いずれは別世界の人間となって生きます


「環境」と聞いて、みなさんはどのようなものを思い浮かべるでしょうか。
多くの人が思い浮かべるものは、緑ゆたかな森や山、海、川などではないでしょうか。
また、汚れた川や海、工場から排出される煤煙などを思い描く人もいるかもしれません。つまり、「環境」とは「自然」とイコールであると、考えている人が多いと思います。
しかしながら、私たちは、「環境」に関連して、このほかに、「住環境」という用語も使いますし、パソコンに関して「環境」という用語を使用しています。

では、そもそも「環境」とはいったい何なのかについて、もう一度考えてみましょう。
フランス語には、「環境」に相当する語としてmilieuがあり、語源は、medium+lieuで「なか」と「ところ」を意味しており、空間的に取り囲まれた中央と周囲の関係を表しています。また、英語のenvironmentやドイツ語のUmweltはいずれも取り巻くものを意味していて、人々がその中に生活する外界の状態を示しています。つまり、「環境」とは、中心となる人間や生物、あるいは物とそれを取り巻く周囲の状態とのかかわりを意味していると言えるでしょう。

つまり、環境は〝私〟とそれを取り巻くすべてのものから成り立っており、〝私〟以外のすべてのものが環境であると言うこともできます(※1)。
そうだとすると、例えば、みなさんの身近な人である「家族」も「環境」であると言えるのではないでしょうか。「家族」の定義はとても難しいのですが、社会人類学者の蒲生正男によると、「家族とは夫婦関係ならびに親子関係、もしくはその連鎖で結ばれた特定範囲の人たちからなる集団(※2)」であると言っています。
みなさんは、家族や親族のなかで生まれ育ち、成長する過程で、自分の属する社会のなかでなに不自由なく生きていくための術(すべ)を身につけていきます。その中で、お互いに同じような価値観・世界観・常識を共有していると無意識のうち思い込んでいくのです。
しかしながら、長年一緒に暮らす中で、「家族」の中でもしばしば相互に理解不可能な事態に遭遇したことはないでしょうか。
でも、それは、私は当然のことと思います。
家族は、共に暮らしながら、一人ひとりが接する世界はさまざまなのです。
子どもは、生まれてしばらくは両親の元にいますが、大きくなりにつれ、幼稚園または保育園に通いはじめ、小学校、中学校、高等学校と進学するにつれ、全く異なる背景を持ったさまざまな人と接するようになり、さまざまな影響を受けるようになります。
また、両親にしても、「家族」となる以前、それぞれ育ってきた環境は異なります。
そうだとすると、「家族」の中であっても、完璧な相互理解はそもそも不可能なのかもしれません。つまり、「家族」が一心同体というのは、ある意味幻想であり、本当は、それぞれが別の世界を生きていて、時に一致する部分もあると考えた方がよいのではないのでしょうか。「家族」はどんなに身近であって、仲がよくても、「あなた」本人ではないのです。
また、この国で生活している人に対しても、同じような価値観・世界観・常識を持っていると思い込んではいないでしょうか。

かつて、私は満員電車に揺られ、会社のタイムカードをおす生活を続けたことがあります。タイムカードとは無慈悲なもので、1分でも遅刻しようものなら、それを記録してしまうので、毎日、遅刻しないように必死でした。
通勤時間帯の駅では、朝の慌ただしい時間のなか、階段をゆっくりと上り下りしているお年寄り、大きなランドセルを背負った小学生や幼児を抱えた女性も、単なる障害物としか思えませんでした。
その時は気がつきませんでしたが、今思えば、「彼らは私たちのようには走らずに、私たちとは違う方向に、違う時間を生きているだけとも言えるのではないか。常に走り続けていなければいけないという強迫観念にとらわれた私たちは、それに気がつかない」だけだったのであり、「彼らも、実は同じ空間のなかで、違う世界を生きている(※3)」とは言えないでしょうか。
人は、「家族」であろうとも、どんなに親しい人であろうとも、みな同じではない、と考えれば、「断じる理由もなければ、自分と比べる必要も(※4)」ありません。
あなたの周りにいる人は、あなたにとっては「環境」であり、そこには「違い」が存在するということを基点とすれば、他者に対してのよりよい理解が可能となると思います。
これは、科学の網目からこぼれ落ちてしまった世界について理解する際のヒントになるかもしれませんが、これについてはいずれまた……。

(※1)河村武「序論」『環境科学Ⅰ 自然科学系』朝倉書店 1988年 pp.1-2
(※2)蒲生正男「概説・人間と親族」蒲生正男編『人間と親族』(現代のエスプリ 80)、1974年、p.23
(※3)名本光男『ぐうたら学入門』中央公論新社、2005年、pp.28-29
(※4)(池田晶子『魂とは何か さて死んだのは誰なのか』トランスビュー、2009年、p.57

(地球環境論・環境政策論・社会調査 担当 名本光男)