千葉県長生郡長南町に生まれた高森碎巌(1847~1917)は、明治・大正期に活躍した南画家です。幼少期に江戸へ出て儒学や書を修め、17歳で渡辺崋山の門人・山本琹谷に画を学んだ碎巌は、自ら詩を詠み、賛を記す作画姿勢を貫き、東京を拠点に全国を遊歴して作品を制作しました。書画の鑑識にも造詣が深く、江戸時代の画家の作品について記した文章は、優れた画論となっています。晩年は崋山の系譜を継ぐ南画界の重鎮と仰がれましたが、「酔巌」と間違えられても気にしない恬淡な性格で、楽しみながら画を描くことが無上の喜びと、名利を求めずに公募展に出品することもありませんでした。
この度の展覧会では、飄逸な山水画を中心に、愛石趣味を伝える作品など、伝統的な南画が衰退するなかでも教養人に愛好され続けた作品を展示し、漢学の素養のある最後の南画家といわれた碎巌の画業を紹介します。
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《梅花書屋図》明治40年(1907)
豊島区立鈴木信太郎記念館蔵 -
《羅浮春夢》明治40年(1907)
房総郷土美術館蔵 -
《青緑双石図》
早稲田大学會津八一記念博物館蔵