このたび「旧水田家住宅」が、数多くの応募の中から選ばれ、第10回千葉県建築文化賞を受賞いたしました。

この賞は、千葉県の優れた建築物を表彰することにより、建築文化や居住環境に対する意識を高め、うるおいと安らぎに満ちた快適な街づくりを推進することを目的に創設されたものです。

「旧水田家住宅」は、地域の特性や周辺の環境に充分な配慮がなされ、建築物と外部空間が一体となって魅力ある景観を創出し、地域に景観形成に寄与しているということで受賞となりました。

竣工以来、近隣の方はもとより遠くからもたくさんの訪問者をお迎えしていますが、この受賞により、さらに多くの方においでいただければと思っております。
平成16年4月23日

母屋外観   ご 挨 拶
このたび国の登録有形文化財として登録されました旧水田家住宅は、戦後壊滅的な経済状況にあった我が国を、政治家として経済の再建・教育への支援に一心に取組み、日本社会の飛躍的な復興に全力を注がれた故水田三喜男先生の生家であり、今回文化財の対象となりました母屋、長屋門は水田三喜男先生の誕生から安房中学校進学までの成長を見守ってきた建物です。

水田先生は、政治活動と共に教育にも大変力を注がれ、「学問による人間形成」を建学の精神として、昭和40年に埼玉県坂戸の地に城西大学を創立、人材の育成にあたられ、今日までその精神は引き継がれております。

また、平成4年には学校法人城西大学水田清子理事長のもと、千葉県東金の地に城西国際大学も創立され、すでに開学10周年を迎え充実した総合大学となっています。
 
私たち同窓生は、城西大学同窓会30周年記念事業として、創立者の偉業をたたえ、城西大学の建学の精神はもとより、後世にそのご功績を永遠に伝えるために、創立者水田三喜男先生の生家を学校法人城西大学の支援を受けて、修復・保存することといたしましたので、地元鴨川市をはじめ多くの方々にご覧いただきたいと願っております。
平成15年1月吉日

母屋内観   旧水田家が存する旧曽呂村(鴨川市)は、嶺岡山脈の南麓を東から西へ通じる道を中心とした五百戸余りの山村であり、嶺岡山は、わが国酪農の発祥地としてしられる。

江戸時代からこのあたりでは毎年五月、大変にぎわいの中、馬捕りの行事が行われており、そこに幕府の役人が来て牛馬を見定めする場所を陣屋と称したが、庄屋のような役割を果たし、村の指導的立場にあった水田家は、この陣屋と地続きとなっていた。また、江戸後期につくられたこの家は、大正12年の関東大震災でも近隣の建物がほとんど崩壊した中、残ったのであった。

水田家は、400年以上前に四国讃岐から移ってきたものといわれている。明治中頃の水田家当主水田竹蔵は、英国から初めて輸入されたホルスタイン種牡牛を飼育したことによって、酪農史にその名を残している。塾に学んで帰った当時の新知識人であり、初代の戸長、村長として信望をあつめていた。その息子信太郎も村長をつとめ、その在任中、県下にさきがけて村内に学校数校を一校に統合、近代校舎を建て、村の教育に貢献した。信太郎には6男2女が生まれたが、男兄弟だけでなく姉妹2人を含む、全員がその当時の高等教育を受け、この村から中央に出て、財界・政界・教育界で活躍したのであった。そのなかの3男が、京都大学法学部で学び、のちに通産大臣や大蔵大臣を歴任し、城西大学を創立した水田三喜男であり、ここで生まれ、安房中学までの日々を過ごした。

長屋門正門 長屋門全景 長屋門平面図母屋平面図
敷地配置図 母屋は桁行15.8m、梁間11.1m規模の寄棟造、平入りのもと茅葺農家で、東側を土間とし、床上は囲炉裏を切った15畳の座敷を中心に食違いの5室構成である。西側に縁側、南面には瓦葺の下屋を差し掛けるなど房総民家の特色を持つ。建設年代は江戸後期と推測される。(登録有形文化財第12-0042号)

長屋門は桁行16.4m、梁間5.5m規模の寄棟造、浅瓦葺、出桁造の建物で、全体的に太い材が使用され、正面右1室と左2室を牛小屋とする点に特徴がある。江戸時代以来の酪農地である嶺岡牧場の歴史を伝える建造物として貴重である。建設年代は母屋と同時期か明治初期と推測される。(登録有形文化財第12-0043号)

重厚な長屋門の入口が額となって、茅葺の寄棟造の母屋が望まれる。東側を土間とし、囲炉裏を切った十五畳の座敷を中心に、五室からなる豪農の家である。西側に縁側をそなえ、南面に瓦葺の下屋を差し掛けた房総民室の特徴を示している。

長屋門の左右には、それぞれ牛小屋が置かれ、かつて嶺岡牧場と関わる酪農を営んでいたことを物語っている。

これら母屋、長屋門は、優に百数十年以上経て居り、貴重な文化財として、文化庁に登録されているが、篤農の堅実さと、安房特有の進取の気象の見事な結晶といってよい。また、この家屋の一隅にある書斎から、遠き潮騒を夢見ながら、ひとりの有為な青年が巣立っていった。城西大学の創立者、水田三喜男である。戦後の日本経済再建の偉業は、そのまま継承され、「学問を通じての人間形成」の理念となった。その母胎こそ、まさに、この家屋なのである。
平成15年1月吉日
城西国際大学水田記念図書館長

在りし日の水田三喜男 明治38年
大正元年
大正13年
昭和6年
昭和9年
昭和21年
昭和27年
昭和29年
昭和30年
昭和31年
昭和32年
昭和35年
昭和35年
昭和40年
昭和40年
昭和41年
昭和41年
昭和42年
昭和45年
昭和46年
昭和46年
昭和47年

昭和51年
昭和51年
4月13日
4月
3月
3月
1月26日
4月10日
1月23日
7月29日
11月15日
12月23日
2月25日
7月19日
12月8日
1月25日
4月20日
7月29日
12月3日
2月17日
1月10日
3月2日
7月5日
1月5日

4月29日
12月22日
千葉県安房郡曽呂村に出生
曽呂村尋常小学校入学
千葉県立安房中学校卒業
旧制水戸高等学校を経て京都帝国大学法学部卒業
町田均氏次女清子と結婚
第22回衆議院選挙で自由党から出馬、初当選
自由党政調会長
自由党政調会長
自由民主党結成、初代政調会長
石橋内閣、通産大臣
岸内閣、通産大臣
第1次池田内閣、大蔵大臣
第2次池田内閣、大蔵大臣
城西大学創立、初代理事長
城西大学開学式、初代学長(理事長兼務)
自民党政調会長
第1次佐藤内閣、大蔵大臣
第2次佐藤内閣、大蔵大臣
自民党政調会長
永年勤続議員表彰(連続11期衆議院議員)
第3次佐藤内閣、大蔵大臣
日米首脳会議(佐藤栄作首相、水田三喜男蔵相、福田赳夫外相、田中角栄通産相)
勲一等旭日大綬賞叙勲
病気にて急逝、享年71歳、従二位に叙位される

所在地: 千葉県鴨川市西字西平良339-1
一般公開: 午前9時~午後5時
定休日: 火曜日
入場: 無料
連絡先: 旧水田家管理事務所
城西大学
城西国際大学
鴨川市教育委員会生涯学習課
0470-99-3110
049-271-7712
0475-55-8800
0470-93-7843
交通・経路: 県道・鴨川富浦線のそば
JR安房鴨川駅から車で20分ほど

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