主な出品作品

1927年(昭和2)、上野、浅草間で地下鉄が開通する。切符はなく、硬貨を入れて通るアメリカ製の自動改札機を導入し、物珍しさから、開業日には10万人が集まり、乗車時間9分のところ2時間待ちの行列ができる盛況ぶりだった。駅員、乗務員には背の高い美男子が採用され、それ目当ての女性客も多かったという。浅草レビューにカフェ、百貨店など、沿線の華やかな文化を乗せて地下鉄は走ったのだろう。《新東京百景》は、版画家グループ「卓上社」のメンバー8名による連作で、1929年から32年の間に100図が各50部限定で頒布された。

メンバーの一人、前川千帆(1888~1960)は、漫画を描きつつ木版画を手がけ、日本創作版画協会展や春陽会展、帝展に出品、近代化した都市の変化を鋭くとらえ、シンプルな線と構図で表した。1930年代以降は《温泉譜》シリーズなど田園の風物に温かい視線をそそぎ、穏やかな作風の作品を残した。

前川千帆《新東京百景 地下鉄》

前川千帆《新東京百景 地下鉄》
1931年、木版多色、18.0×24.0㎝、個人蔵(後期展示)

赤レンガと左右のドームが印象的な東京駅の乗車口前の景観である。駅前には円タクが停まり、ワンピース姿のモダンガール、ステッキを手に麦わら帽子を被った男性らが行き交う。《東京回顧図会》は《新東京百景》の復刻8点に新作7点を加えたシリーズで、本作品には、初版が刊行された1931年(昭和6)頃の情景が活写されている。1914年(大正3)竣工の壮麗な洋風建築の駅舎は、関東大震災で倒壊を免れたものの東京大空襲でドームなどを失ってしまう。2012年に当初の姿に復元されて話題になったことは記憶に新しい。

作者の恩地孝四郎(1891~1955)は、1910年代、版画と詩の同人誌『月映』に掲載した抽象的な木版画で注目され、日本創作版画協会展、帝展に独創的な作品を発表、また本の斬新な装丁でも知られる。抽象・具象を問わず、叙情的、時に難解な作品で後進に刺激を与え続けた。

恩地孝四郎《東京回顧図会 東京駅》

恩地孝四郎《東京回顧図会 東京駅》
1945年、木版多色、24.5×18.5㎝、個人蔵(前期展示)

1930年(昭和5)に開業した東劇(東京劇場)は、屋上に装飾塔がそびえ、築地で一際目立つ重厚な洋風建物であった。光が灯る劇場前には、観劇に訪れた群衆や送迎の車がシルエットで表され、手前の築地川には建物と光が映っている。

本作品は木版画だが、織田一磨(1882~1956)は1910年代より自画石版を手がけ、震災後復興した東京に取材し《画集銀座》《画集新宿風景》を発表するなど、石版作品を多く残した版画家である。物語性のあるしみじみにとした風景を、石版独特の柔らかなタッチで表現した。

織田一磨《TOGEKI(築地東劇夜景)》

織田一磨《TOGEKI(築地東劇夜景)》
1930年頃、木版多色、26.3×35.8㎝、個人蔵(前期展示)

手前の三井銀行は、震災後アメリカ人の設計により再建され、本格的な新古典主義様式の外観を持ち、地下に初めて金庫室を設けた建物として知られる。奥は1928年に三越呉服店より改称した三越。様々な新しい商品が並ぶ百貨店は、モダン都市の象徴であった。三越の赤い送迎バス、停車中のフォード、ソフト帽を被る男性やモダンガールなど、最新の風俗を復興後の明るい時代の雰囲気とともに伝えている。《昭和大東京百図絵》は、1928年から37年に制作された小泉癸巳男渾身のシリーズ。明るい色彩と、色面構成による平面的な作風で、東京の隅々まで描写した。

癸巳男(1893~1945)は日本創作版画協会に作品を発表したほか、版画雑誌の創刊や技法書を執筆し、木版画の普及にも努めた。

小泉癸巳男《昭和大東京百図絵 第三景 三井と三越》

小泉癸巳男《昭和大東京百図絵 第三景 三井と三越》
1929年、木版多色、39.3×30.1㎝、個人蔵(前期展示)