主な出品作品

墨と華やかな朱のコントラスト、格子柄と肥痩のある衣紋線が画面にリズムを与え、役者が見得を切る一瞬が大胆に表現される。寛政8年7月に都座で上演された「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」の車引に取材した作品で、描かれているのは梅模様の衣裳から梅王丸とわかる。松王丸、桜丸とともに大首絵3枚組の1枚。半身像の大首絵をさらに切り取った大顔絵とも呼ばれる作品で、豊国風でありながら、より迫力ある色彩と構図に国政の個性が現れている。

歌川国政(1773?〜1810)は、写楽同様、突如高価な大判役者絵を出版し浮世絵界に登場。作画期は寛政7年からの約10年間と短いが、迫力ある構図に役者の個性を描きだす独自の画風で、師の豊国とともに役者絵黄金期の一翼を担った。

歌川国政《三代目市川八百蔵の梅王丸》

歌川国政《三代目市川八百蔵の梅王丸》
大判錦絵、寛政8年(1796)

死絵は、役者や戯作者などの有名人が没した際に、その死を惜しんで出版された追悼の錦絵で、故人の似顔絵と没した日や享年、俗名、戒名などが書かれ、辞世の句や追悼の和歌が添えられる場合もある。本作品は、安政二年に没した坂東しうかの死絵で、しうかが駕籠で冥途に着くと、前年没した八代目団十郎が驚いて迎える図様。「これはこれは思いもよらぬ」と驚く団十郎に、「急なことで暇乞いもできないくらいだ」と答えるしうか。同じく前年に没した音八は青鬼姿となり、駕籠をかいてきたのか、汗をふきながら「ここへくれば安心だ」と言っている。

無款《八代目市川団十郎・坂東しうか・三代目嵐音八死絵》

無款 《八代目市川団十郎・坂東しうか・三代目嵐音八死絵》
大判錦絵、安政2年(1855)

芝居小屋の2階と3階にある楽屋を、大判を上下に3枚ずつ繋いで大画面で見せる作品。2階は女方の部屋、3階は立役の個室や合部屋、下級役者が雑居する大部屋と分かれていた。休憩や支度、稽古をする役者が似顔で表され、役者に裃を付ける衣裳方、鬘の手入れをする床山なども描かれる。壁には注意書きの「定」や、贔屓連(ひいきれん)からの天幕などの贈り物の熨斗(のし)が貼られ、当時の楽屋の様子がうかがえる。  

三代歌川豊国(1786〜1864)は、国貞と号し役者絵・美人画で人気を得、後に豊国を襲名。長命で作品数が最も多い。

三代歌川豊国《踊形容楽屋之図・踊形容新開入之図》

三代歌川豊国
《踊形容楽屋之図・踊形容新開入之図》
大判錦絵6枚続、安政1年(1854)