主な出品作品

夏姿美人図

鈴木春信《六玉川 擣衣の玉川》
中判錦絵、明和4年(1767)頃
当館蔵

色紙形には摂津国・三島の玉川(現大阪府高槻市)を詠んだ和歌「松風の音たに秋は淋しきに、衣うつなり玉川のさと」が記され、田舎家の土間で母娘が砧(きぬた)を打つ光景が描かれる。母は草色地に杜若模様の小袖に、市松模様の帯を前結び。娘は桃色地に葵模様の愛らしい振袖で、帯は両端を長く垂らす水木結び。市松模様は人気役者の初代佐野市松が用いた石畳模様から名づけられた。水木結びも女形の役者・水木辰之助の帯の結び方から流行したもの。

鈴木春信(1725?〜70)は、錦絵創始者の一人。中性的な男女像が人気を博し、以後の美人画に影響を与えた。

針仕事

喜多川歌麿《針仕事》
大判錦絵3枚続のうち左
寛政6、7(1794、95)年

当館蔵

母親は裁縫道具を傍らに置き、透ける素材の反物を広げ、夏のきものを作るところだろう。彼女は紫地の蜘蛛絞りの浴衣に、表が黒繻子(しゅす)で裏が縞の昼夜帯を一つ結びに締めている。子供の腹当ては、市川団十郎の紋から生まれた三枡(みます)模様。針仕事をする女性に子供を加え、町人の日常生活を描いた三枚続のうちの一図。

喜多川歌麿(1753?〜1806)は、寛政期(1789〜1801)を代表する美人画家。女性のふとした表情やしぐさをとらえ、その心情まで鋭く描出する表現が人気を呼び、遊女のほか、市井の生活に取材した作品も描いた。

夏姿美人図

吉原真龍《夏姿美人図》絹本着色
天保〜弘化(1830〜48)頃
当館蔵

団扇を手にした女性が、きものの褄(つま)をもち、ゆるりと歩を進めている。萌黄(もえぎ)地に夕顔模様の薄い単衣(ひとえ)から、白い腕が透けて見える。このような衿(えり)から褄、裾(すそ)にかけて模様を配した「島原褄」は江戸後期に流行した形式で、京都の島原の遊女から始まったといわれる。帯は裏が鳳凰模様の豪華な昼夜帯で、褄からみえる真紅の襦袢(じゅばん)が艶やかである。下唇を玉虫色にするのは、笹紅という流行の化粧。

吉原真龍(1804〜56)は、豊後出身で、京都に出て、三畠上龍に学び、上方風の美人画を描いた。師風を継ぎつつ、丸顔に小造りの目、鼻、口の人形のような顔つきの独自の表現を確立した。

梅樹扇模様帷子

《梅樹扇模様帷子》

黒麻地、縫い締め絞り・打ち出し鹿の子・刺繍

江戸中期(18世紀)、女子美術大学美術館蔵

湾曲しながら立ち上がる梅樹に、大柄な扇が動的に配される。左腰の余白が少なく、寛文小袖から総模様への移行期の作例。梅の幹や扇面を絞り染めと打ち出し鹿の子で表し、花弁や扇の骨を金糸や紅糸で刺繍した、華やかな意匠である。帷子(かたびら)とは、夏に着用した麻布の単衣物(ひとえもの)。

流水萩模様振袖

《流水萩模様振袖》

綸子地、絞り染・型友禅染・刺繍
江戸後期(19世紀)、女子美術大学美術館蔵

流水は藍の鹿の子絞りで大胆に、萩は型友禅と刺繍によって繊細に表され、江戸後期の成熟した染織技術がうかがわれる。肩から裾にかけて大きく蛇行する流水は、前身頃へと続き、着る者の体を取り巻くデザインになっている。