院生の研究発表の場として論文集を作ろうという構想が持ち上がったのは、2000年春のこと。すぐに有志による編集委員会が組織され、創刊号の編集作業が始まりました。しかし作業を始めてみると、何もかもが手探り状態で、多くの壁にぶつかってばかり。特に大きな壁となったのは、何を収録するのかということでした。
女性学は実践の学問。論文だけがその成果発表の形式ではありません。むしろ論文としては表現できない部分に、それぞれの大きなテーマがあったりもします。それらを無視してしまったのでは、女性学・ジェンダー研究を扱った冊子としては問題がある。そこで論文集という形態にこだわることを捨て、あらゆる表現形式を収録できるよう、総合雑誌的な形態をとることになりました。
『かりん かりん』は、学内で配布されているほか、全国の女性センターなどにも配布されており、多くの方の眼に触れているようです。院生のこの挑戦は概ね暖かく迎えられているようで、時に暖かくも厳しい批判をいただくことがあります。これが新たな研究への活力となり、『かりん かりん』を続けてゆこうという原動力にもなっています。また『かりん かりん』を通じて新たなネットワークが形成されていることも励みとなっています。創刊から早七年。合言葉は、「『かりん かりん』を新たな女性学の発信源に」である。
国立女性教育会館、平成15年度女性学・ジェンダー研究フォーラムのテーマは、「21世紀の男女平等・開発・平和―わたしの権利」。JIUジェンダー研究会(大学院生有志の勉強会)は、「フェミニズムと平和」というテーマを掲げてワークショップを開催した。演題は、「さまざまな平和:私にとっての平和」(博士課程大橋稔)、「日本人「慰安婦」が"沈黙"する現状に関する考察」(修士課程2年神山典子)、「林芙美子『放浪記』-女性の貧困と放浪」(修士課程1年宮崎紗英子)。司会は石島(修士課程2年)が務めた。
私たちは平和を、「ジェンダー社会から他者化された人たち、もしくは他者化された人たちの声を代理表象する人たちの問題意識から問われた構造的な暴力が解消された状態」とし、それは自己の存在意義に関わる急務でかつ最重要課題で語られなければならないものと想定した。平和に対するこうした私たちのスタンスに対して、十数名の参加者から賛同の意見が投げかけられ、参加者ともども互いにエンパワーされた。終了後も参加者からの応援と賞賛の声を多く頂き、研究会にとって有意義な研究発表の場となった。
ヌエック・ワークショップ
「若者と知事のフリートーク」
2003年8月(千葉県庁)
私が城西国際大学大学院で女性学専攻を志望したのは、日本で唯一の修士課程女性学専攻で女性学・フェニミズムを体系的に学びたいという希望からでした。卒業した現在、その希望が叶えられたことに満足しています。
学部を卒業後、青年海外協力隊日本語教師隊員としてミクロネシア連邦で現地の高校生たちと共に過ごす時間の中で、開発援助・国際協力分野におけるジェンダーの視点の重要性を強く感じました。本学の充実した英語教育と海外から招かれた教授陣による様々な講義は、女性学・フェミニズムの最先端の研究を知ると同時に、海外の大学院における講義の雰囲気を肌で感じることができるとても刺激の多いものでした。また、女性学海外インターンシップ・プログラムとして、アメリカ合衆国サンフランシスコにあるNGO、WIN(Women's Intercultural Network)での1ヵ月間にわたる研修ができたことも、大変貴重な素晴らしい経験となりました。学内・国内にとどまらない多彩なカリキュラムは、研究活動に大きく役立ったと思います。
女性学プログラムでは、一年次に理論、フェミニズム・ジェンダー批評、調査法などの基礎を充分に学び、同時に、興味のあるテーマを「ジェンダー文化論」、「ジェンダー社会論」から選択することができます。自分の研究分野のみならず、幅広く女性学を学んでいます。また、国内外からの先生方が担当される集中講義も充実していて、人脈を広め、新しい知識を習得することができます。
インターンシップ・プログラムの一環で、私は、1月からNPO法人HANDS(Health and Development Service)で働き始め、机上では学ぶことのできない実践的知識を得る貴重な経験をしています。ブラジルやアフガニスタンのプロジェクト、JICAや外務省による委託調査を行うHANDSでは、途上国開発分野で経験を積んだスタッフから、NPO運営、プロジェクトの立案実施など、日々多くのことを学んでいます。また、世界銀行の会議や国連機関によるシンポジウムに参加させていただき、開発に携わる方々と知り合う機会も多く、卒業後の進路を考慮する上で大きな方向づけとなっていると思います。
私は城西大学大学院経済研究科で修士課程を終了後、城西国際大学大学院博士課程に進み、2002年7月に『博士論文提出資格』を取得しました。そして現在、中国広東省広州市にある華南師範大学の政治与法律学院の講師として働いてます。
私はJIUで学んだことに誇りを持っています。私の人生にとって、城西大学と城西国際大学に在学した12年間は、私の生涯へ人的資本の投資を行った年月でした。私にとって、成熟した学風を持つ城西大学と比べて、1992年にできた城西国際大学は、とても国際化し情報化した開かれた大学でした。城西国際大学の博士課程に在籍した4年半の間、専任指導教授からの授業のほかに、各国からの学者による数多くの学術講演、集中講義、また大学院生も参加、参画できる国内.国際の学会、院生たちの自発的に組織した勉強会への参加など、すべて自分の学問形成だけではなく、人間形成にも大いに役に立ちました。母校の先生からの教えと教務関係者からの協力は生涯忘れることはできません。
中国で大学を卒業後、新聞社に勤めました。1996年に、新聞社の特派員とてして初めて日本へやってきました。日本でも、中国と同様、男性が多い会社でしたので、女性としての「役割」について数多くの体験をしました。自分自身という「価値」を人生の座標軸の中に位置づけることができませんでした。そんな頃、「女性学」という分野を知り、中国での再就職のチャンスもあったのですが、城西国際大学大学院に入学することになりました。
JIUでは、女性の本質に対する考え方、女性観、女性の価値を再発見しようとする視点から、女性学の基礎を学び、ビデオや映画の上映、ワークショップ、講演会を通して、貴重な充実した一年の留学生活を過ごしました。いま中国は経済成長とともに、社会・経済・文化全般にわたって著しい変化と発展を経験しています。そのような変化を受容するためには、新たな時代に即した感覚を身につけなければなりません。自身を大事にして、自分自身の役割があることを信じることができなければなりません。人として、女性として、自分らしく生きていくことができることに一歩でも近づくこと、それが中国からこのJIUへ来て、女性学を学んでいることなのです。
私が社会人プログラムのことを知ったのは、2月の出願締め切りのわずか1週間ほど前のことです。その頃の私は、自治体の職員として男女共同参画を担当して4年目を迎えていたが、男女共同参画を進める必要性を感じれば感じるほど、変わっていかない現実とのギャップに解決策を見つけることができず、重苦しい気持ちを抱えていました。そんな私にとって、「仕事を続けながら女性学が学べる」という一言は、一筋の光にも思えて、自分でも驚くほどの早さで挑戦を決めました。
毎日の生活は確かにきつい。仕事と勉強、やることの多さに押しつぶされそうになる。でも、大学に行くと元気になれるから不思議でした。私が現場で直面していた課題が、学問的な立場からはこう説明できるのかという発見や他の院生から受ける刺激は、本当に貴重なものであり、理論と実践が結びつく楽しさを知り、自信を持って仕事を進めていくことができるようになりました。
私は現在、フェミニストカウンセリングの領域で働いています。これは私の修士論文「フェミニストグループワークに参加する人々にとってのフェミニズム」に関連する仕事であり、私が長年目指してきた仕事でした。
女性学を学んだ2年間は、私の財産です。大学院という専門知識を得る環境で女性学を学ぶという経験ができたこと、また仲間と問題を共有しながら学ぶことができたからです。専門知識を得るという点では、ゼミや授業で最先端のフェミニズムの知識を得ることに加え、インターンシッププログラムや課外活動において、女性たちの草の根活動にも触れ、多くの女性たちとネットワークを築けたことは、大変貴重な経験となりました。また、21世紀最後に開かれた「女性国際戦犯法廷」にボランティアとして参加し、歴史的な場面に立ち会えたことは、忘れることができません。
社会の中で「女性」として生きている私が、女性学を学ぶということは、常に自分を見つめ直すことにもつながりました。そして、多くの仲間とともに自分の問題として女性学を捉えることができたことが、2年間の励みであり、支えでした。これは、女性学の大学院を持つJIUだったからこそ経験できたことではないかと思います。
「個人的なことは政治的なこと」。私はこの言葉の意味をJIUで実感することが出来ました。そして、この気付きが私をエンパワーしてくれました。
現在私は、女性センターで女性学の講座の企画・運営をしています。私のいる女性センターでは、主要講座が50講座もあって、そのうち私は8講座を担当しています。講座の内容から講師とのコンタクトなどすべての業務をまかされています。広報もあります。ここでの仕事を通して、さまざまな女性たちに出会います。彼女たちの「個人的なこと」が「政治的なこと」になっていく<場>、彼女たちがエンパワーされていく<場>の提供をし、一緒に考えながら、女たちがつながっていける「ちから」を実感しています。