明治大学駿河台キャンパス(東京都千代田区)に研究室を持つ町田さん。交通・物流に関する専門書がぎっしり並ぶ本棚に、一枚のツーショット写真が飾られています。「JIU在学中の私と森田稔先生です。師匠である森田先生からもらったたくさんの恩を、いまここで学生に返しています」と、町田さんは写真を大切そうに手に取り、懐かしい日々に思いを馳せました。
上海の発電所で働いていた町田さんに、最初の転機が訪れたのは18歳のとき。「新しいことにチャレンジしたい」という思いが日に日に強くなり、日本への留学を決意しました。1990年に来日し、日本語学校を経て、93年にJIU入学。「最新分野を学べる」という理由から、経営情報を選択しました。
学費も生活費もすべて自力。千葉市内にアパートを借り、勉学とセブン-イレブンでのバイトに明け暮れる日々の始まりです。「余裕のない日々でしたが、コンビニでのバイトは勉強にも非常に役立ったんです。検品や注文に、セブン-イレブンは当時から最新のシステムを導入していました。一日の売り上げの詳細がデータになって夜に出てきたり、バーコードで簡単に発注できたり。そうした体験が、物流に興味を持つきっかけの一つになりました」
そして、町田さんを物流研究の道に導いた決定打が、森田教授との出会いです。「『ロジスティクス・マネジメント論』という初めて聞く講義名を見つけ、何の知識もないまま聴きに行きました。内容もさっぱりわからなかったのですが、未知の学問への興味が湧いたことに加え、ゆっくりとした口調でやさしく説明される森田先生の話をもっと聴きたくなったので、ゼミ入りを志願したのです」。森田教授はいきなり本格的な専門書を町田さんに差し出し、「うちのゼミはこれを読み解くんだよ。どうだ、やるか」「やらせてもらいます」「そう。じゃ、取った」と、即決でした。
その日から森田先生との濃密な時間が始まりました。著名なマーケティング学者であるフィリップ・コトラーの本を渡され、3週間で18ページのレポートを提出。するとまた別の本を渡されて、レポート提出。次には学外の専門家を紹介され、他大学の授業も聴講するなど、寸暇を惜しんで勉学に打ち込み、森田教授の期待に応えました。
「私を育ててくださったのは、森田先生だけではありません。英語が苦手だった私が日英中の3か国語で授業できるまでになれたのは、語学担当の先生方のおかげです」ということば通り、在学中町田さんは、時間の許す限り英語の授業を受けまくりました。「自分で学費を払っていたので、学ばなくては損だという気持ちでした。いくら授業を取っても授業料は一緒ですからね。こんなチャンスを活かさない手はありません」。町田さんの熱意に押され、教材を吹き込んで渡してくれた教員もいたそうです。「教員との距離が近いJIUで学んだからこそ、英語コンプレックスを解消することができました」
物流の専門知識も語学力も身につけた町田さんは卒業後、明治大学大学院を経て、森田教授もかつて在籍していた日通総合研究所に就職。研究者としての一歩を踏み出しました。現在は日本に帰化し、明治大学を拠点に、多くの学生を指導しています。「森田先生が生前、『人生で一番良かったのは、君を育てたことだ』とおっしゃってくださったことがありました。『何になりたいかと聞かれたら、大学の先生と言え』と書いて送ってくださった手書きのファクスとともに、私の宝物です」
「大学は夢の場所。大学での学びによって、人生を変えることができる。とても素敵なことです。私はそれをJIUでの4年間で実感することができました」と語る町田さん。「大学で何を学び、それをどう自分の人生に活かすか。卒業証書をもらうために日々を過ごすのではなく、意味のある4年間を送ってほしい」と後輩たちにエールを送ってくれました。