薬学部 学部長 懸川 友人
SARS-CoV-2ウイルスはRNAウイルスだと、皆さんも何度か聞いたことがあると思います。私はRNA(=リボ核酸)に記された情報を利用して、薬や病の予防の研究を行っています。そんな視点からCOVID-19という病の原因となるSARS-CoV-2ウイルスの性質を理解していただこうと思います。
そもそも「遺伝子」が違う
私たちヒトの遺伝子はDNA (=デオキシリボ核酸)の(+)鎖と(-)鎖の2本ががっちりと結合したものです。DNA(-)鎖の遺伝情報はRNAに移し替えられ、さらに体の構造や働きの中心である「タンパク質を作る設計図:ORF(open reading frame)」の情報源として利用されます。一方、コロナウイルスの遺伝子は1本のRNA(+)鎖からなります1。この(+)RNAは12種類のORFを持っています。つまりそのまま「タンパク質を作る設計図:ORF」の情報源として利用できて、12種類のタンパク質をヒトの細胞中で生み出せるということを意味します。
「変異」ってなに?
ヒトのDNAは細胞一個一個に存在します。つまり1個の細胞が2個に増える(=成長する)ときは、DNA上の遺伝情報も全く同じに記されるはずです。しかし、紫外線に当たったり、化学物質の汚染、あるいは加齢など条件のとき、遺伝子が傷ついたり、遺伝情報を記すときに間違い(=変異)が生じることがあります。それでもヒトは遺伝子の傷や間違いを正す機能を持っています。一方、コロナウイルスでは、(+)鎖RNA遺伝子上の独自のORFから作られるRNAポリメラーゼと呼ばれる酵素によって(-)鎖のRNAが作られ、さらにそれから(+)鎖RNA遺伝子がたくさん作られます。この時、ヒトの遺伝子に対するようなコロナウイルス遺伝子の傷や間違いを正す機能は細胞中に確認されていません。他にもヒトのRNAは核の中で作られ、間違って作られたRNAは分解される仕組み(Nonsense mediated decay)が ある2,3のですが、その仕組みはコロナウイルスのRNAが作られる細胞質にはないのです。それで「SARS-CoV-2ウイルスは変異しやすい」と言えると思います。言い換えるとSARS-CoV-2ウイルスと比べるとヒトで起こる「変異」はほんとにまれです。
変異がSARS-CoV-2ウイルスに都合がよいわけ
もとの遺伝子情報と異なるウイルスが一杯出来て、SARS-CoV-2ウイルスに不都合はないのでしょうか?実はおそらく、コロナウイルスとして増えることが出来なくなる(=コロナウイルスに致命的?)こともあると考えられます。でもコロナウイルスの粒子は量産されるので、コロナウイルスにとって都合の良い変異が起きたウイルスだけがまた感染を繰り返すとも考えられます。このことは、コロナウイルス感染が蔓延するとさらにヒトにとってより危険なコロナウイルスが生まれる可能性もあるということです。ワクチンやより良い治療薬の開発が待たれます。
新規コロナウイルスのゲノム疫学
SARS-CoV-2ウイルスは変異しやすいことから、次世代シーケンサという機器を使って、患者さんから採取されたコロナウイルス遺伝子の情報4を解析する作業が行われています。4月17日までの情報を、世界中で460を超える施設のデータを一堂に集めています。データはこれからも更新、蓄積されていきます。日本語へ翻訳もされているので一度見てください。(Nextstrain:https://nextstrain.org/)
集計された、変異はSARS-CoV-2ウイルス遺伝子の全体に亘っていることが示されています。個々の変異に ついて2019年11月25日から2020年4月21日までの時系列を世界地図上に 表記すると、ヨーロッパでは旅行者によりSARS-CoV-2ウイルスが広がったことが見えてきました。また、感染の蔓延の速度が速く、致死率が高いイタリア、スペイン、イギリス、またオーストラリア、中国や韓国のSARS-CoV-2ウイルスと比較しても日本とでは、遺伝的性質が異なるのです。感染の蔓延の速度や致死率の違いは「変異」という「偶然の産物」であるとも考えられるのです。勿論、それぞれの国と地域で広がり方や、致死率などが異なるかについて、生活習慣、国家による対策、気候、医療制度の違いなどに拠るとの意見も上がっています。また最初、COVID-19は高齢者や基礎疾患(生活習慣病など)がある患者は重篤化しやすいといわれていまいた。最近では若年層でも重篤化が報告されるようになりました。いずれにしろ現在までSARS-CoV-2ウイルスによるCOVID-19の解釈は確立しておらず、その中でNextstrainの取り組みは、「生活習慣病」と「感染症」の概念に一石を投じる可能性があります。言い換えると、感染症は生活習慣の影響をそれほど受けないとされてきましたが、生活習慣病の結果である基礎疾患の有無が、COVID-19の症状の軽重に影響を及ぼし、また社会生活の一般的な習慣が結果的にSARS-CoV-2ウイルスの蔓延に大きな影響を及ぼしている可能性が高いのです。
ワクチンが出来ても長い戦いになるわけ
日本においては最初、クルーズ船の乗員・乗客によりSARS-CoV-2ウイルスがもたらされました。対応の遅さ、悪さが世界から指摘されたなか、現状に至っています。これから、世界中からの帰国によりもたらされたSARS-CoV-2ウイルスが増えることで、悪化するのかも知れません。また、専門家が指摘する通り「紫外線」と「湿度」が増す季節には自然と「COVID-19」は消滅するのかもしれません。いずれにしても、SARS-CoV-2ウイルスの多様性と地球上にはすべての季節が同時に存在していることから、「ワクチンが出来ても長い戦いになる」可能性を否定できないのです。薬やワクチンにすべて委ねるのではなく、科学的・合理的な行動で、自身が感染するリスクを減らし、ひいては自身の大切な人たちにSARS-CoV-2ウイルスを感染させないよう努めることが大切となっています。