薬学部 薬理学研究室 田嶋 公人
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大が続く中、世界で治療薬の開発が急ピッチで進んでいます(表1)。しかし、新薬開発は10年以上の歳月がかかるため、ドラッグ・リポジショニング(別の病気の治療薬を他の治療に転用する)の手法でCOVID-19に対する治療効果を確かめる試みが医療機関を中心に行われています。その中でも、喘息治療薬として現在使用されている吸入ステロイド薬シクレソニド(商品名:オルベスコ®)に着目し、本当にCOVID-19の治療薬になり得るのか?また、その作用メカニズムについて考えてみたいと思います。
気管支喘息は気管支アレルギー疾患の代表であり抗アレルギー薬が用いられます。また、気管支の狭窄がみられた場合には気管支を広げる薬物も用いられます。近年では、気管支喘息を気道の慢性炎症と位置づけて、全身性の副作用がほとんど現れない吸入型の副腎皮質ステロイド薬(吸入ステロイド薬)の使用が最も重視されています1。
シクレソニドは、それまでに用いられていた喘息治療薬であるベクロメタゾンプロピオン酸エステル(商品名:キュバール)、フルチカゾンプロピオン酸エステル(商品名:フルタイド)、ブデソニド(商品名:パルミコート)に次ぐ、我が国4番目の吸入ステロイド薬として2007年に登場しました(図1)。これらの吸入ステロイド薬は、細胞内に局在するグルココルチコイド受容体に結合した後、核内へ移行し、DNAに結合して炎症反応に関わる各種因子の発現を抑制することで、気管支の炎症を強力に抑える作用を持っています2。さらに、シクレソニドは他の吸入ステロイド薬とは異なり、プロドラッグ(生体で代謝作用を受けて変化後に効果を発揮する薬剤)として、吸入投与後に肺および気道で活性代謝物に変換される「局所活性化型薬剤」です。また、その代謝活性物が肺組織内に長時間留まることができるため気管支喘息治療の場合は1日1回(用量100-400μg)投与で治療できる特性を有する医薬品です。さらに、この薬剤は他の吸入ステロイド薬と比べて微細粒子の割合が高く、肺内到達率が高いことも特徴としてあげられます3。
COVID-19に対する治療効果として、我が国では2020年2月ダイヤモンド・プリンセス号の患者を受け入れた神奈川県立足柄上病院において、新型コロナウイルス (SARS-CoV-2) による肺炎の早期~中期患者3人に、肺の炎症抑制効果に加えて、SARSやMERSの原因ウイルスの増殖を直接抑える活性が知られていたシクレソニドを吸入投与し良好な結果が得られたことが報告されています4。その後も日本感染症学会ホームページではシクレソニド吸入によりSARS-CoV-2肺炎が改善した症例が報告されています。
SARS-CoV-2による肺炎について、現在までに明らかになっている特徴の1つとして、感染した患者さんの体内、特に肺胞上皮細胞内でSARS-CoV-2が増殖し、肺傷害を引き起こしながら、免疫細胞である肺胞マクロファージが高度に活性化されることで、肺胞局所で過剰な炎症 (hyper-inflammation) が生じていると考えられています5,6,7(図2)。
一般のステロイド類では全身の免疫が低下する可能性があるためにウイルス感染に不利な状況が生まれますが、シクレソニドは吸入ステロイド薬であり、さらに到達部位で活性体に変換されて作用する薬であるため、肺の局所でより効果的に過剰な炎症を抑制することが期待できます。加えてシクレソニドは、ウイルスの増殖を抑える作用を合わせ持つことから、肺炎の重傷化を直接的に抑制することも期待できます8。
しかし、これらの論文報告だけでは、まだ十分に検証されているとは言えません。例えば、多くのステロイド薬の中で、なぜシクレソニドに抗ウイルス作用が認められるのか、現時点では、SARS-CoV-2コロナウイルスの非構造タンパク質のひとつが特異的なターゲットであることを示唆するデータがありますが、詳細な阻害機構については、まだ、わかっていません。また、引用した論文データで示されている抗ウイルス作用は、感染培養細胞で得られた試験管内での研究成果(in vitro)であるため、ヒト体内でも同じような抗ウイルス作用が発現しているかどうかは、今後、動物実験 (in vivo) で検証されることが待たれます。
今回紹介した吸入ステロイド薬シクレソニドは、既に気管支喘息治療薬として用いられているため安全性などのデータが蓄積しており、幼児に対しても高用量で使用できる可能性があることや、COVID-19治療薬として開発する際に必要なデータとして利用できるメリットがあります。しかし、COVID-19のどのような症状に対してより効果が高いのか、どのタイミングでどの用量を使用するのが良いのか等の基礎的な研究の継続が必要で、現在、日本感染症学会などが中心となって取組んでいる症例解析の例数を増やし、誰もがそれらの情報にアクセス可能にすることで、COVID-19による肺炎重傷化を防ぐ治療効果の高い医薬品としての開発が進み、世界的に使用される薬剤に育っていくことを期待しています。
Q1. 副腎皮質から分泌されるステロイドホルモンは、糖質コルチコイドと鉱質コルチコイドの2種類あります。それぞれの産生部位と生理作用を調べてみましょう。
Q2. 気管支喘息治療薬として用いられる「副腎皮質ステロイド」とは、上記2種類のステロイドホルモンのうちどちらの作用を強く引き出したものでしょうか。
Q3. 肺胞は私たちの体のどこに存在しますか。そして、普段私たちの体ではどのような役割を果たしていますか?
Q4. In vivo とin vitroとは何でしょうか。調べてみましょう。
薬学部 薬理学研究室 准教授 田嶋公人(たしまきみひと)
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